(書き下ろし)
1997年タイ、インドネシア、フィリピン、韓国などアジアの新興市場国に端を発した金融危機は、ロシア、南米へと伝染したが、日本でも金融2法と60兆円の公的資金を用意しての金融再生策にもかかわらず、頑健な金融秩序が回復されたという実感は生まれていない。むしろGDP比で見た負債残高の膨張は、伝えられる貸し渋り現象にもかかわらずいまだ解消されておらず、日本の金融システムの脆弱性は国際的な不安材料となっている。
実体経済にいたっては2年度連続のマイナス成長が確実となり、99年度についても楽観的な見通しは立てにくい。企業倒産、失業率の上昇、物価の下落と、日本経済が本格的デフレ経済の様相を呈する中で、これまで世界経済を牽引してきたアメリカ経済にかげりが見られるようになると、これで日本に大型金融倒産でも起ころうものなら、日本発の世界大恐慌が起こりかねないとする見方が生まれてきた。小渕総理大臣は日本発の世界大恐慌は起こさせないと力説するが、既にそれが始まっているという論者もいる。本当のところはどうだろうか。まず昔を振り返ってみよう。
1930年代の大恐慌は、アメリカ、東西ヨーロッパ、アジアをはじめ工業国も農業国も巻き込むまさに世界的大不況であった。大胆に整理してみると、世界恐慌が成立した条件は次の6つであった。
- ヨーロッパ工業国経済の衰退
第1次大戦後イギリスが経済的覇権の地位から退き、敗戦のドイツは債権国から債務国に転落した。総体的にヨーロッパの工業国は世界貿易においても重要度を失っていった。 - アメリカへの富の一極集中
20年代央から富は繁栄のアメリカに集中したが、アメリカはそれを国際的に環流させる責務を果たさず、世界的な規模で需要不足経済が招来された。アメリカが20年代初に移民を拒否し、20年代央に国際資金をウォール街に引きつけ、30年に関税引上げを実施するに及んで、世界の需要不足は決定的となった。 - 交易条件の悪化
工業国経済の停滞は、25年から28年にかけて1次産品総合価格指数が40%下落するなど、農業国および資源輸出国に大きな打撃を与えた。交易条件の悪化した国では対外債務が増大し、利子支払いに困窮した。 - 国際通貨秩序の崩壊
世界経済の極端な不均等的展開は、金本位制という固定相場制度の維持を不可能にした。各国通貨は国際的投機筋のターゲットとされ、イギリスが金本位制を離脱したのを皮切りに、各国は平価切り下げ競争に走った。為替切り下げと報復関税の応酬から、世界貿易はピーク時の2分の1の水準にまで縮小していった。 - 交通通信手段の未発達
国際通信手段としては電報しかなく、アメリカからヨーロッパまで1週間の船旅を要した時代には、国際的政策協調の可能性は限られていた。 - 国際調整機関の不在
国際通貨基金、世界銀行、ガットの設立は大恐慌と第2次世界大戦の後だった。
今日これらの条件は何一つ満たされていない。むしろ、アメリカとヨーロッパを含む先進国経済は90年代を通じて安定成長を続けており、途上国経済の成長率はそれよりも高い。今日の世界経済は、アジアや日本の金融危機を吸収できるほど健全な成長を続けているのである。
したがって日本経済の問題は、世界に恐慌を引き起こすことが心配されるのではなく、世界第2位のGDPをもちながら、実体経済面で国際貢献できていないとろこにあると言えよう。日本経済がいま世界の問題児であることは変わりない。