月刊『民放』(1998.9)
1998年6月25日、地上デジタル放送懇談会(以下、「懇談会」)の「中間報告」~新デジタル地上放送システムの形成~が発表された。欧米の例にならって、この報告はグリーンペーパー、つまり各方面からの意見をオープンに受け付け、最終報告をとりまとめるための”たたき台”と位置づけられている。
詳細な内容については、郵政省のホームページからもダウンロードできる報告書に譲らなければならないが、ここでは経済学者の視点から、これまでの懇談会での議論を振り返り、「中間報告」に込められた放送事業者への熱い期待について、私見を述べてみたい。
デジタル化の費用と便益
あらゆる技術革新は、それが最終的に消費者にもたらす利益によって評価されなければならない。放送方式のデジタル化についても、最大の関心事は視聴者に及ぶメリットは何かという点である。そして端的に言ってそれは、高品位の映像・音声を含む放送サービスが、豊かな内容と新たなコンセプトのもとに提供されるようになることであろう。
もとよりそのようなメリットは、単にアナログ放送方式をデジタル放送方式に切り替えるだけでは生まれない。消費者利益が増進されるのは、技術革新に触発された競争の進展によってである。デジタル化の意義は、それによって高画質・高音質放送、多チャンネル化、高機能化、移動体受信等が技術的に可能になるという直接効果のほかに、デジタル技術が地上・衛星・CATV放送、通信、他メディア相互に共通のプラットフォームを提供し、その上で業態を超えた競争がダイナミックに進むとことの効果が大きいと期待される点にあるのである。
また、地上放送のデジタル化は関連する産業にも大きな波及効果を及ぼす。テレビ受像器あるいはデジタル放送端末のメーカーには、セットトップボックスから新しい端末まで、10年間におよそ40兆円の需要が生まれるとの予想もある。そのうち20兆円は旧来のテレビの買い換え、20兆円は移動受信装置、カーナビなどの新機種だという。
他方、放送事業者にとってデジタル化に必要な設備投資の負担は大きい。「中間報告」では一定の仮定の下に、それを9300億円と推定している。広告費の対GNP比がほぼ一定で、これまで以上に多数のメディアがそれを分け合う状況の中、多額の設備投資負担は民放経営に深刻な影響を及ぼすと憂慮する声も聞かれる。
しかし、収益率が悪化したといわれる98年3月期の地上系放送の売上高経常利益率は9.1%であるが、これは医薬品37社の16.4%に次ぐ高率であり、全産業平均の2.7%をはるかに上回っている。また、既にCSデジタル放送が多チャンネルサービスを開始した今、地上波放送がアナログにこだわった無策を続けた場合の経営的ダメージを思えば、デジタル化投資は競争戦略上不可欠な投資と言えよう。
こうした設備投資、機器市場の拡大、さらにはデジタル放送時代のコンテンツ産業の活性化等は、日本経済全体に対して産業連関的誘発効果を持っている。「中間報告」では、その大きさを10年間で総額約211兆円と推計している。これに視聴者が受けるメリットを加えるならば、デジタル化の費用便益バランスは大きく便益側に傾いていると言えよう。
さらに、わが国がいち早くデジタル放送システムを作り上げることの意義は、国際競争の側面において著しい。家庭用ビデオのVHS方式やパソコンのマイクロソフトの例を引くまでもなく、今日デファクト標準獲得の戦略的重要性は疑うべくもない。
6月初め、シンガポールにおける地上デジタル放送の放送方式をめぐっては、米国方式、欧州方式と並んで日本方式がコンペに参加した。新幹線の国際コンペのように、システムの競争においては、技術的可能性もさることながら、運用実績に基づいた安心感が最大の武器になる。
競争と規制の行方
「中間報告」は、放送サービスのあり方について特段の方向を打ち出していない。確かに周波数の割当を6MHzとした根拠はハイビジョン放送にあるが、1チャンネルの高品位テレビ放送を行うか、3チャンネルの標準テレビ放送を行うか、あるいは双方向など新しい放送サービスをどれだけ含めるかは、事業者の選択に委ねられている。
この点、アメリカでは高品位テレビの推進に政策ドライブがかかっているようであり、既に走査線数が多く高画質のテレビを見慣れたイギリスでは、民放の関心はもっぱら多チャンネルに向かっている。イギリスでは96年の放送法改正により、衛星デジタルと地上波デジタルは競争時代に突入した。200チャンネルを超える衛星デジタルと、せいぜい全英で30チャンネルにしかならない地上波デジタルとは競争になるのだろうか。
この点について、文化・メディア・スポーツ省商業デジタル放送政策局のマッケンジー部長の意見は明快である。地上波は基幹放送として、今後も強い競争力を発揮し続けるだろう。第一に、大多数の人々の視聴態度は極めて保守的で大きな慣性を持っている。第二に、視聴者は絶えず200チャンネルをショッピングして回るのではなく、多くの場合、自分の好みの地上波局が編成した定食メニューを選ぶことになろう。まさに、番組編成のブランド力が競争の決め手というわけである。
競争の激化と放送規制との関係はどうであろうか。この問題については、規制を供給サイドの規制と需要サイドの規制に分けて考えなければならない。供給サイドの規制とは、送り手である放送局に対する規制であり、放送の不偏不党の原則、番組調和原則などがこれに当たる。今回の「中間報告」では、こうした番組規律は現行どおり維持することが適当としつつも、将来再検討が必要なことを指摘している。競争の進展に伴って、個別放送事業者の社会的影響力(ボトルネック、ゲートウェイ等の独占力)が低下すれば、これらの規制は不必要となるであろう。
需要サイドから見れば、市場は放送分野とインターネット的分野に分かれる。このうち放送分野に対する公序良俗、ポルノ等の文化的規制は、アクセスの容易さ、市場シェア等によって異なるだろうが、将来的にもそれぞれの国で維持されると思われる。
インターネット的分野については、各国とも共通の問題を抱えており、当分模索状態が続くだろう。インターネット放送(webcast)のコンテンツを規制することは、ほとんど不可能に近い。
民放への期待
こうしてデジタル化とともに放送産業において競争が進み、規制も変化していくとき、民放に期待されるところは何だろうか。
第一に、これからは番組編成そのものがブランドとして視聴者の選択の対象となることに留意すれば、民放には個性をもったブランドの開発が期待される。懇談会の委員からは、現在の放送番組は高齢化し、多様化し、個性化しつつある視聴者のニーズに応えていないとの不満がしばしば聞かれた。デジタル化に伴う多チャンネル化等によって問題が解決されることを望みたい。
第二に、民放は良くも悪くも「放送」という既成コンセプトにこだわりすぎているように見える。デジタル放送端末班がまとめた「デジタル放送端末の将来像、アナログ受信機からデジタル放送端末への円滑な移行策等について」では、コンテンツ配信サービスから蓄積型サービスまで、24の異なるサービスの可能性を指摘している。民放には放送らしくない放送、旧来の枠をはみ出す新たなサービスの開発を期待したい。放送界の保守的体質からそれが難しいというのなら、放送を知らない事業者の新規参入が不可欠の政策判断になると思われる。
第三に、無料放送はスポンサーが関心を持つ視聴者層のニーズには敏感に反応していようが、コンテンツ自体のメリットで受け入れられているわけではない。放送局は番組を視聴者に売っているのではなく、無料放送でテレビの前に集められた視聴者をスポンサーに売っているとの指摘もある。コンテンツ自体が評価され流通していくためには、民放も有料放送を視野に入れた戦略を立て、直接市場と向き合った競争を展開すべきであろう。
第四に、放送市場の競争が進展し、コンテンツがそれ自体のメリットで競争できるようになるためには、ソフト市場にも公正競争の原則が確立されなければならない。
おわりに
以上、懇談会の「中間報告」をめぐって私見を述べてきたが、最後に日本のやり方が英米と異なる点を指摘しておきたい。
それは、英米のデジタル化が基本的に民放の自己責任と経営判断の問題として進められることを大原則とし、政府の役割は競争条件を整備することに徹しているのに対して、日本の場合は産業政策的色彩が強い点である。
例えばイギリスでは、デジタル化を急ぎたい事業者はセットトップボックスを自ら無料配布することが期待されている。他方日本の場合には、デジタル化に関する情報は、視聴者は端末買換えのために、メーカーは機種開発のために、放送事業者は設備投資計画のために、行政は政策の円滑な実行のために、すべてが必要とする公共財と考えられている。そのための「中間報告」であればなおさらのこと、この提案とその背後にある民放への期待が確実に実現されることを望みたい。