『日本経済新聞』 (1998.11.20 朝刊)
信頼の回復へプロセス再構成
アジア通貨危機支援のための300億ドルの新宮沢構想、公的資金60兆円と二法を用意しての金融安定化策、16日に閣議決定された23兆円の緊急経済対策など、ようやく日本政府の動きも、経済危機の深刻さに釣り合うものとなってきた。
しかしながら、これまでの政策決定過程は問題の認知、政治的意思決定、政策の実行のいずれの局面においてもあまりにも時間がかかり過ぎた。
また、92年以来7回にのぼる財政支出拡大(合計約82兆円)と今回の政策パッケージの内容も、短期的景気対策と長期的構造改革のバランス、国内的課題と国際的責任などにおいて、整合性と一貫性に疑わしい部分がある。
国民の不安感の除去と日本経済に対する国際的な信頼回復とが焦眉(しょうび)の急である今日、政策における迅速性と整合性はこれまで以上に重要な要請となっている。
問題は、情報収集と分析には局所的な建前にとらわれる官僚が当たり、立法過程においてはしばしば国益よりも党派的利害が優先され、公共事業をはじめとする予算執行には地方自治体との連携に機動性が確保されていない仕組みにある。
6300人余りの人命を失った95年1月の阪神・淡路大震災において、政府の危機管理能力の欠如が厳しく問われたが、ひとまず緊急経済対策が打ち出されたいま、必要なことは経済政策の緊急対応、復興、危機回避、構造対策への決定プロセスを再構成することであろう。
実際、現在の日本は国際社会における問題児である。日本の金融システムの脆弱(ぜいじゃく)性が国際的な不安材料となっているだけではない。実体経済にいたっては2年度連続のマイナス成長が確実となり、99年度についても楽観的な見通しは立てにくい。
企業倒産、失業率の上昇、物価の下落と、日本経済が本格的デフレ経済の様相を呈する中で、これまで世界経済をけん引してきた米国経済にかげりが見られるようになると、これで日本に大型金融倒産でも起ころうものなら、日本発の世界大恐慌が起こりかねないとする見方すら生まれている。
もちろん、現実的には日本発の世界大恐慌の可能性は極めて薄いと見るべきだろう。
なぜなら、90年代を通じて欧州、北米を中心とする先進国の経済成長率は極めて安定的に平均2%台で推移している。先進各国は低インフレ、低金利を続けており、国際貿易は90-96年平均で6%の増加を示している。発展途上国の成長率は先進国よりも高く、旧共産圏国のマイナス成長も92年以降改善されてきている。
見習うべきは46年米雇用法
したがって、アジアの金融危機も、資源輸出国の交易条件も、このグローバルな安定成長が維持されているうちに、タイミングを外さず解決されなければならない。日本の景気回復も国内問題としてだけでなく、国際問題として認識されなければならないのである。
そこで、米国の1946年雇用法の精神にならって、日本で「経済基本法」を制定するよう提案したい。46年雇用法は、ニューディール政策の仕上げとみなされることも多いが、リチャード・ガードナー(『ポンド・ドル外交』)の証言にあるように、第二次世界大戦中の英米通貨交渉における英国の強い要請を受けて、米国が世界に基軸通貨国としての責任を宣言した異例の法律である。
自由市場経済の米国で、連邦政府が経済を管理する責務を負うとすることに対する違憲論議をおして制定されたこの雇用法は、ブレトンウッズ体制とあいまって、戦後の世界経済秩序に大きく貢献した。
同様な趣旨から、日本で経済基本法を構想するとすれば、次のような事項が盛り込まれなければならないと思われる。
(目的)この法律は、安心で活力ある豊かな経済社会の実現を図り、増大する国際的役割にも配慮しつつ、日本経済が可能な限りの雇用、生産および購買力を増進するために必要な事項を定めることを目的とする。
(政策の基本)経済全般の運営は、人口構造の変化、技術条件の変化、国際情勢の変化などわが国の経済社会情勢が大きく変容する中で、国民に最大限の雇用および所得を実現し、分配の公正さと経済の安定を実現するために、財政政策、金融政策、構造政策などあらゆる政策手段を整合的に活用することによって行われるものとする。
(国の責任)国は、前条の基本理念にのっとり、適切な経済政策を推進する責務を有する。
(経済諮問委員会)内閣府に経済諮問委員会を置く。委員会は参議院の助言と同意に基づいて総理大臣が任命する三人の委員をもって組織し、各委員は、専門的学識、経験および研究実績において、経済情勢を分析解釈するに必要な極めて高い資格を有する者とする。
(経済財政諮問会議)経済諮問委員会のもとに、財政、産業、貿易、運輸、労働などをその任務とする経済財政諮問会議を置く。
(緊急政策)総理大臣は、経済諮問委員会の助言のもとに、国民生活の安定が脅かされると判断される経済緊急事態においては、財政法第五条の規定にかかわらず公債を発行し、金融秩序の維持回復に必要な措置をとり、民間経済活動の一部を制限するなどの措置を含む議案を国会に提出することができる。
細部の検討は今後に待たなければならないが、右のような経済基本法のねらいは、①内外に政府の経済運営にかかわる基本スタンスを明確に示し、政策決定の迅速性を確保するために、経済運営の基本を法定する②米国の例にならい、大学から2年程度の任期で出向し、経済諮問に専念する少数の委員からなる経済諮問委員会を作る③かつての石油ショックや今回の3年連続マイナス成長が予想されるような経済緊急時には、各種の臨時緊急措置をとることができる根拠を与える ――などである。
たとえば、同法を根拠に現在のデフレ危機への緊急時対応策としては、日銀引き受けで国債を発行することも検討されてよい。
財政法第五条はそれを禁止しているが、ただし書きでは、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た範囲内ではこの限りでない、とうたっている。デフレ時にこの例外条項を適用することにすれば、適度なインフレ期待も生まれ、国民のマインド形成に好影響を与えよう。
また、今回の金融関連二法も、基本法の裏付けがあってはじめて正当性を持ちうると思われる。
一貫性の確保へ常勤委員で対応
このような基本法によって、財政再建や財政構造改革は目的ではなく手段であることを明確にし、立法、行政の現場に学界関係者が踏み込むことによって、政策の効率性、整合性、透明性を高めることが期待される。
企業経営において社外監査役の重要性が高まっているように、政策運営においてもムラの掟(おきて)にとらわれない創造的で大胆な発想が求められているからである。
現在の経済戦略会議の最大の問題点は、それが国家行政組織法八条の委員会、すなわち非常勤委員のみによって構成されている点にある。日銀政策委員会のように常勤の委員が、日常的に課題に取り組み、政策決定に参画することによってはじめて、短期的、長期的政策の発案から実施までの首尾一貫性が保証されるであろう。
もちろん学者の起用には問題点もある。学者は取り扱う問題の制度的側面について無知であることが多く、官僚的意思決定のやり方や政治的かけひきについてもほとんど経験がない。
しかし、自身、経済諮問委員長を務めたマーチン・フェルドスタイン氏は、「大部分の上級スタッフは急速に学習して有力な意思決定参加者となり、経済分析を用いて、官僚的発想を超えた新しい提案を行うことが多かった」(『エコノミック・ジャーナル』1992年)と述懐している。真剣な検討を望みたい。