学説史・恐慌とは何か

~エコノミスト(1998年6月)

制度学派によれば、20年代の独占化の動きの中で価格硬直化が進み、他方企業は労働分配率を低めて過剰投資に走り、それをシェア競争によって正当化しようとした。
そのような大企業体制の崩壊と精算が大恐慌の本質だった。
保守派のライオネル・ロビンズ、マルクス経済学派、さらに50年代に入ってのガルブレイスは、好況時に進展した所得分配の不平等が過少消費をもたらしたと分析した。
これらの経済学者にとって大恐慌とは、累積した市場の失敗が暴力的に精算される過程を意味していた。

フランクリン・フィッシャーは企業、農業、個人の過剰債務を大恐慌の元凶と見た。
連邦準備銀行がマネーサプライをふやすことでデフレをくい止めるべきだとの主張は、60年代フリードマン等のマネタリストに受け継がれ、連銀の政策ミスは徹底的に糾弾された。
80年代に入ってバーナンキは金融の量的側面よりも銀行閉鎖という支払システム停止の影響が大きかったと指摘した。
金融面から見た大恐慌は、金融のシステムダウンであり、それを防止する新たな制度確立の必要性を如実に示す現象だった。

アルビン・ハンセンにとって当初大恐慌は、人口増加率の低下、フロンティアの消滅、技術革新の枯渇によってもたらされた構造不況であった。

シュンペーターにとって大恐慌は、資本主義の健全な機能の発露であり、人為的な対策は有害でしかなかった。

しかしニューディーラーにとってそれは、たとえ不完全な知識によってでも、同胞の苦境を救うために人知の限りを尽くして戦うべき厄災だった。

ドイツでも日本でも類似の政策が取り入れられた。
アメリカにルーズベルト大統領が誕生したほぼ同じ頃、ドイツにはヒトラーのナチス政権が誕生した。
もちろんナチスは民主主義を破壊し、批判勢力を投獄し、ユダヤ人を大量虐殺したのに対して、ニューディール政権は政治犯を投獄することもなく、むしろ弱者の政治的発言力の向上に努めた。
それにもかかわらず、ヒトラーとルーズベルトに多くの共通点が見られることは、歴史家のジョン・ギャラティが指摘するとおりである。

ナチスもニューディーラーも、貧困と大量失業に公共事業政策で対応しようとした。
両者ともに、世界的大恐慌に国内政策で対処しようとした。
ただ、ルーズベルトが均衡予算のくびきから逃れられなかったのに対して、ナチスは補助金と租税還付によって民間企業を活性化し、結婚貸付などによって消費を刺激し、アウトバーンや公共住宅、鉄道、大スタジアムの建設など、財政赤字を恐れず徹底した公共投資を断行した。
その分だけ、ドイツの回復の方がアメリカよりも早かった。

こうして大恐慌を総括してみると、
それは市場経済のドラスティックな初期条件再調整メカニズムだったと言えるだろう。
大恐慌と戦争を通じて国際的な所得分配、物価水準、あるいは産業構造や金融と実物経済の関係等の初期条件が変更され、そこから再び市場経済が資源配分機能を発揮する。
既得権益も国内制度も国と国との相対関係も大恐慌と戦争によって大きく変化した。
世界大恐慌は、新しくトランプの札を配り直してこから戦後経済のゲームがスタートしたという意味で、「ニューディール」そのものだったのである。