<朝日21関西スクエア設立記念シンポジウムにて:朝日新聞1998年7月31日>
「共和国」を近畿2府4県に限定して考えれば、「日本海から瀬戸内海、太平洋まで広がる、過密も過疎も抱えた自然豊かな国」と言える。
国土面積は、2万7千平方キロでオランダより小さいが、人口は2千万人達し、マレーシア(約1900万人)より多い。狭い土地に大勢が住み、「人間と人間が近い」のが特徴といえる。
県民総生産をもとに共和国のGDPを計ると、1996年の統計では80兆円、ドル換算で約7440億ドルになる。国で言えばアメリカ、日本(500兆円)、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスに次ぐ7番目の大きさで、産業構造もサービス産業が6割以上を占める「都市型」だ。
こうした潜在的な可能性の大きさを背景に、共和国が住みやすさ、仕事のしやすさ、ビジネスや情報交換のしやすさを目指すのは当然だ。しかし、そうした「効率重視」の姿勢が、3年半前の阪神大震災でもろくもつぶれてしまったことを忘れてはいけない。
経済構造においても都市の機能においても、機器にしなやかに対応するには、ある種の「無駄」の配置が大切なことを学んだ。「効率」を超えて何のための国づくりかという根本問題にまで立ち戻ることが大事だ。
数字の話に戻れば、共和国内で発生する所得税、法人税、消費税などの国税の税収入は10兆2千億円に達するが、環流してくるのは3兆8千億円足らず。差額の6兆4千億円は、「共和国」意外の場所に回っている。仮に共和国が独立すれば、年間6兆円ずつを新しい国づくりのために使えるのだ。
そのとき大事になってくるのが、共和国にどんな理念を掲げるかだ。理念に共鳴すれば、住人の輪が情報テクノロジーの進展とともに、バーチャルな世界でどんどん広がるだろう。
18世紀のフランスは啓もう思想を育て、19世紀のイギリスは議会制民主主義をを生んだ。20世紀には米国がマーケットエコノミー思想を世界に広げ、欧州ではEU統合という人類史上かつてない実験をしている。こうしたことに伍して行けるような関西発の「理念」を我々は必死に考えなければいけない。