市場の枠組みを再調整

~日本経済新聞「経済教室」(1998年2月)

再び現在の日本経済と大恐慌のアメリカとのアナロジーを指摘する声が高まっている。
相次ぐ国内金融機関の破たん、株価低迷、円の下落、タイ、インドネシア、香港、韓国などの通貨金融不安がそうした見方を勢いづかせている。しかし、60年を隔てた2つの経済は余りにも違いすぎて、安易な歴史的アナロジーは危険である。

少なくとも次の事実だけは確認しておかなければならない。大恐慌では株価はピーク時の15%水準にまで下がり、工業生産は46%、卸売物価は40%、企業収益は50%、輸出は36%下落した。失業率は25%に達し、銀行貸出残高はピーク時の60%水準にまで縮小した。本当にものすごい恐慌だったのに対し、今の日本経済はまだプラスの経済成長を保っている。

大恐慌ではしばしば1929年の株価暴落が実体経済の悪化につながったと指摘されるが、不況の原因はむしろ実体経済側にあったのであり、金融システムの破綻は不況の激化と長期化の原因だった。
ルーズベルトが復興金融公庫(RFC)に金融機関の優先株を引き受させ、金融機関の立て直しに成功したとよく指摘されるが、公的資金でRFCを作って銀行や鉄道会社への融資を始めたのはフーバーだった。
RFCが銀行の優先株に投資する道を開いたのは確かにルーズベルトだが、彼はむしろ金融界に敵対的で、銀行休日で全国の銀行を閉鎖し、銀行法や証券取引法によって銀行を厳しく規制したことで知られる。それに第一、金融システムが安定したのは2万5千行あった銀行が1万5千行にまでその数を減らしてからだった。

外国の新聞のように橋本総理を大恐慌を前になすすべを知らなかったフーバーになぞらえるのもいかがなものか。フーバーはもともと政治家でも官僚でもなく、立志伝中の人物であり、偉大なる人道主義者の異名をとって全ヨーロッパから尊敬された人である。誠心誠意アメリカのために働いた彼の悲劇は、政治的パフォーマンスが下手で、アメリカの優位と自主独立のアメリカ精神への思い入れが強すぎたことだった。口では均衡予算を唱えたが、実際の連邦予算はフーバーの時代にGNPの8%水準にまで上昇し、ルーズベルトはほぼその水準を維持したに過ぎなかった。

ニューディール政策についても神話が多い。アメリカ資本主義を救った切り札と評価されることが多いが、量的には大恐慌を救うだけの力はなかったし、総需要政策として意識されたこともない。
ニューディールは主として反デフレ政策であって、農業調整法は農産物価格支持を、全国産業復興法は不況カルテルによる価格下落防止をねらったものだった。大恐慌が解消したのは、アメリカが太平洋戦争に参戦して軍事経済に突入したことによってである。

ただ大恐慌の経済政策の失敗から学ぶべきことは多い。その第1は、経済的に成功した国は国際的な富の再分配を注意深く行わないと、大恐慌という暴力的な形でそれを強行させられるという点である。
恐慌に先立つ繁栄のアメリカは、国内労働者を守るという名目で移民に門戸を閉ざし、バブル相場を放任して資金を第一次大戦後の復興に務めるヨーロッパから引き上げ、関税を引き上げて外国に国内市場へのアクセスを拒否したが、後から考えるとこれらの政策はすべて間違っていた。

ルーズベルトをはじめ当時の政治家や識者たちに、大恐慌は大デフレとして認識されていた。
物価の下落こそがすべての元凶で、物価を引き上げれば問題は解決すると考えられた。
そのためルーズベルトはRFC資金で金を高く買い付ける政策をとり、第1次ニューディールで物価下落防止をねらったが、価格への政府介入は成功しなかった。全国産業復興法は最高裁から違憲判決を突きつけられ、豚肉価格維持のために子豚を大量に屠殺する光景は国民の反発を招いた。

創設以来15年しかたっていない連邦準備銀行は、法律に縛られ金融危機に当たって最後の貸し手としての役割を果たし得なかった。フリードマンらが主張するように、連銀がもうすこし大胆に信用供与していたならば、銀行を通じる支払いネットワークのシステムダウンによって取引が萎縮することを防げたであろう。

さらに、大恐慌は国内問題ではなかった。資源輸出国は工業国の経済停滞により市況の悪化から困窮を極め、ヨーロッパは戦後経済の立て直しも終わらないうちに信用危機に陥った。したがって各国の経済政策には国際的視点が不可欠だったが、アメリカもドイツもそれぞれ恐慌を独自の国内問題として理解し、国内的解決策を模索した。

こうした政策上の誤りを2度と犯さないためにも、大恐慌とは何だったのかを総括しておく必要がある。
それは市場経済の初期条件再調整メカニズムと言ってよいであろう。国際的な所得分配、物価水準、あるいは産業構造や金融と実物経済の再調整を通じて、経済の初期条件が変更され、そこから再び市場経済が国際的資源配分の機能を発揮する。最も重要なことは、したがって、この調整を徹底することである。

ここから引き出される政策的帰結は次の4つである。第1に、今日の課題として、日本はアメリカに次ぐ健全な経済として、国内市場を開放しなければならない。そのためには国内経済の需要増が焦眉の急である。かつてアメリカが世界の金の4分の1を手中に収めながら不胎化政策をとり、国際的需要不足を来したことを反面教師として学び、経常収支の黒字国として、また家計セクターに生まれる貯蓄の有効利用を図るためにも、減税および財政支出の増加によって内需拡大を図らなければならない。

第2に、市場経済の初期条件調節が十分かつ速やかに行われるよう規制緩和が断行されなければならない。金融市場について言えば、不良金融機関の整理が速やかに行われなければならない。
預金保険機構への30兆円の資金枠の提供は、信用秩序維持の目的から正当化できようが、既得権益の温存につながるようでは死に金である。不健全な金融機関の延命に公的資金が使われるようなことは、国民感情的に許されないだけでなく、必要な調整を長引かせるという意味において将来に禍根を残す。
金融機関の早期是正措置の先送りなど、直ちに撤廃されるべきである。

第3に、経済政策においても危機管理の発想が必要である。一般に、天然災害などの危機が発生すれば、
その直後から人命救助などの「危機対応」が必要となる。やがて「復旧・復興」に政策の主眼は移っていくが、ここまでの段階で必要なことは、政策の迅速な発動であり臨機応変の対応である。
次いで「被害回避」のための計画が構想され、次の危機に備えての「準備作業」が必要となる。このフェイズで必要なことは、計画であり周到な準備である。現在の日本経済は、長期的、構造的課題に向けての政策の無矛盾性を志向するよりも、危機対応として創造的な手だてを講ずることである。

最後に最も重要なことは、かつて大恐慌と第2世界大戦を経て1946年の雇用法の前文でようやくアメリカがそうしたように、インフレも不況も起こすことなく、日本経済を安定的な成長軌道に保つことを日本政府の耐えざる責務として内外に明示することである。そうすることによって初めて、日本経済は円を国際通貨としてアジアの経済安定に貢献し、同時に世界大恐慌による暴力的再調整メカニズムによらずして、21世紀の新しい国際経済秩序作りに貢献することができると思われる。